ぐて書き 第三期

良いところも悪いところも全部ひっくるめて自分なんだから ここにぐて書きして記憶を残しておこう

習慣が生み出す退屈

憂鬱な状態に陥る条件には「退屈」が一番。
何をして「退屈」と決めるのか?
それを計る方法も定義も自分の尺度である。
 
習慣とは気付かないうちに思考まで浸透してしまうみたいだ。
後から冷静に考えてみると、一回しかない時間を「しまったな」と感じてしまう。
 
昨日のコンパの引き際である。終電は逃したくなかったのは事実である。
でも帰ってしまってよかったのだろうか?
門限がある子を送る事にしたが、ここで例の習慣とやらが出てしまう。
今考えれば、全て後悔は「今考えれば」なのだが、駅の改札まで送れば充分だった。もう一歩先でホームまで。
酔っていたせいもあるだろう、深くは考えてなかった。
地下鉄に乗り乗り換え駅で降りる。ここでその子とはお別れになったので、そっから引き返してもよかったのだ。
……さっさと帰ってしまった。
 
後から知った事。
俺が送っていった女の子を狙っていた男がいた。
終電を逃した『帰る事が出来ない酔っ払い女』がいた。
その子に付き合って朝まで漫喫で時間を潰していた男がいた。
最後のそれは俺の役目じゃなかったのか、と思ってしまう。
 
「送れる所まで送る」――そんな習慣がある。
もう一歩踏み込んでみるべきだったのだ。「〜べきだった」がまさに後悔の種。
なかなかうまくいかないもんだな。
後悔の種ばかり貪り食う事は退屈でならない。
そして憂鬱になり、いきなり世界が変わればいいと思う。
正確に言うと「創りかえる」ができたらなと思う。