第一段階の途中
生きる意味を失いそうな時、自分の存在理由は限り無くゼロに近づく。
実際にはそうではないのであるが、目的の方向に価値がない故にゼロとなる。
帰るべき場所に帰れ。
冒険はもう終わりだ。
そんな簡単にはいかないのが生身のいうやつだ。
恋や使命が鎖となってつなぎ止めてくれるならいいのだが、それさえもないとなると自由の不幸へと落ちてしまう。
自由を不幸と思う事がそもそも不幸。
幸せでも不幸せでもないのが自由なのだ。
言葉のイメージは怖いもので、たった一言で失うものだってある。
イメージのズレである。
生きる意味があってもなくても現に生きている。
死でしか存在を示せないというのなら裏に生きる楽しみがグンと上がる。
表と裏を使い分ける楽しみはなかなか面白いものだと思う。
生きる事が苦痛だと思い始めると死しかないのだろうか。
こいつはもう金の問題だと僕は思っている。
本当は不必要なもの。
つまり、その苦痛は不必要なもの。
騙したり裏切ったり嘘ついたり、逆にそうされたりも全部が不必要である。
生きる楽しみがないから死ぬのなら遊べばいい。
人生を遊べばいい。
否定なんてくだらない考えなのだから。